「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」と言われ約10年ほど経ちますが

まさかここまでマジで何者にもなれないとは思っていなかったよ!!!!

あの頃は冠葉や晶馬たちと同じ高校2年生だったのにいつの間にか26歳にもなっちゃって。

新卒で入社した会社を病んで半年で辞め、その後何度かアルバイトをして再就職するもやっぱり続かなくて短期離職しちゃって今はただのフリーターだしこれからのことはなにも考えてないし。
貯蓄はないし借金はあるしその日を生きるので精一杯だし将来のことなんて全然考えてないし。いつまでこんな生活を続けるのかも分かんないし夢も目標もないし安定した収入は欲しいけど短期離職を繰り返した人間に就活は厳しいし世間の目も厳しいし。
こんな田舎出てやると高校生の頃から思ってたのに結局まだこの地にいるし。
趣味はあるけど特技はないしその趣味も本気で情熱を持って打ち込んでいるわけではないから中途半端だし恋愛や結婚に興味は持てないからこれからも一人で生きていくんだろうし世の中は恋愛至上主義に溢れてるし。

この日本社会において健康で若くて独り身の人間に求められる労働力の責任重すぎませんか? 週5で毎日8時間働けない人間に人権はない。結婚して子供を産まない人間にも人権はない。そう感じてしまうのは田舎だからだろうか。一人で生きるのが難しすぎる。金がない。でも働けない。私なりに働いてはいるけど世の中の正社員様に比べたらきっとダメすぎるんでしょうね。こうやってすぐ自己卑下に走ってしまう。


同年代の子がね、みんなすごいんですよ。学校を卒業してからずっと同じ会社で働いてたり、何か夢に向かって頑張ってたり、趣味に一生懸命打ち込んでたり、結婚して家族を持ってたり。そういう姿を見るたびに何者でもない自分を思って落ち込んでしまう。

でも、世の中きっとそういう何者にもなれない人ってのはたくさんいるということも知っている。知っているけれど、生きるのすごく息苦しくないんですか? なるべく楽しく生きたいんだけど、どうやって生きていけばいいんでしょうね。
ピングドラムを見つけるしかないのか? 結局そこに帰着するのか? 結局は愛なのか、やはり一人では生きていけないのか…って薄らとした絶望感が去来してしまう。

楽しく生きたい。難しい。

映画くれなずめの感想ちょこっと

映画くれなずめを観てきました。
ほぼ前情報なしに観に行ったんですが思いの外刺さってしまったので思いつくままに感想を書きます。

なんていうか、「死んだら人は思い出の中でしか生きられないけど、思い出になった次点で記憶は美化されちゃうしどうでもよかったはずのことが特別になっちゃうし既にそれは私の思い出でありその人ではない」みたいな映画でしたね……?
作中終盤の「お前ウルフルズ好きだったろ?」「まあ、好きだけど……好きなうちの一つって感じ」のやり取りがもの悲しかった。そう、本人にとってはそんな感じだけど、遺された人間としてはどうでもいいやり取りが妙に記憶に残っていていつの間にか特別なことのように思ってしまってる。そういうところでやっぱりもう自分たちは進む時間が違ってるんだよなということを突きつけられて悲しい。いつまでも一緒にバカやってたいのにね。

あと、最後のやり直しがとても悲しくて優しかったですね。「次は絶対に電話に出るから、」と彼は言っていたけど、たとえあの時電話に出ていたとしても何も変わらないんですよ。電話に出ていたとしても友人が亡くなる事実は変わらないし、きっと翌朝普通に仙台に帰る友人を見送っていただろうと思う。
でも、何も変わらないけどそれでもやり直したいと思う気持ちが痛いほど分かってしまうので悲しかった。
もし、もしも友人が亡くなることが分かっていれば、ちゃんと別れの挨拶をしたのに。あんなに適当に「また」の言葉を言わなかったのに。そう思うだろうなあって気持ちはとても分かる。
最後彼らはやり直しをしていたけれど、かける言葉はあの時を全く一緒だった。けれどそれでよかったんだよね。変わらないけど、それでも「また」の言葉をちゃんと言いたかったという遺された側の気持ちを映画で叶えてくれるのが優しいなあと思いました。

後半の急なチープな展開もよかった。中盤の「シリアスがそんなに高尚かって、コメディ舐めてんのか」の台詞があったから監督に絶対的信頼を置いてしまった。
「友人の死」という重いテーマを描いておきながら後半急にコメディ描写が入るのとても好き。人の死をずっとしんみりと重々しく描いていれば死に対して誠実なのかと言われれば「コメディ舐めんな」ってそりゃ言いたくなるでしょうよ。
友達は友達で変わりないはずなのに、死んでしまった途端に友達という枠が特別な別のものに変わってしまうの嫌だもんね~~ずっと友達でいたいよ、お菓子もらうために会いに来たわけじゃないんだよ本当。友人が死んだら死んだという事実があるだけで、友人であることは変わらないもんね。

まあ現実はそんな簡単に割りきれるものじゃないけどさ~~それでもさ~~やっぱり特別なものになってほしくないしずっと友達でいたいじゃん……
くれなずめというタイトルなのに暮れないまま終わるの、そんな祈りを肯定してくれるような製作側の優しさを感じます。ありがとう。
公式サイトの「友達に会いに来てください」という監督の言葉もいいよね。いい映画でした。

突然べるぜバブにハマった日記

令和2年、年明け早々突然べるぜバブにハマった。

いや、なんで????
自分でもよくわからない……何でなんだろう……一体なぜ……。

というわけで日記を徒然と書いていきます。
前半人が亡くなったりちょっと重めの話もあるので注意してね!!



2019年の11月頃、仕事が全然うまくいかなくて気分がかなり沈んでいた。
何がうまくいかないの?って聞かれると困るんですけどとにかく全然働けなくて、本当に働けなくてせっかく正社員として就職できたのに長時間労働が無理っていうので年明けから非正規短時間勤務に切り替えってことに11月末には決まりまして。
2回目の正社員だったのでマジで自分職を変えても本当に働けないんだなダメだな~って大分気分が落ち込んでた。週5で8時間労働(+残業)っていうのがどうしてもできない。なぜ。落ち込む。

で、とりあえず職場で話がまとまって自分のダメっぷりに落ち込んでる時にある日急に実家から電話がきまして、「叔父の容態が急変して今夜が山だ」と。

いや待って、急変ってなに?? え、ってかそもそも入院してたの?? って感じなんですよこっちは。いきなりすぎて本当にびっくりした。

昔はよくその叔父さんに遊んでもらってたんですけど、成人してから1年に1回親戚の集まりで会うかなぐらいに会う頻度が減ってたのでそんな状況になってたのなんて全然知らなかったんですよね。
叔父さんまだ40代で全然若いし従姉妹たちとはたまに会ってたけど誰もそんなこと言わないし。
でも私だけじゃなく母もみんな知らなかったみたいで、白血病で入院してたけど本人に口止めされて黙ってたらしいんですよ。

で、いきなり今夜が山だと言われても現実感がまるでないし電話先の母は泣いてるし。


そのときはそれで終わって「山場は乗り越えたよ」って連絡がきた。
お見舞いに行った母から叔父の写真も送られてきて思ってたよりも元気そうなのでよかったーって思ってたんですけど。 
1か月後、ちょうどクリスマスの前にまた急に「亡くなった」って連絡がきまして。

「もう山場は乗り越えたよ」とか言うからちょっと安心してたけどダメだったみたいで、これも後から聞いたんですけど元々「年は越せないかもしれない」って言われてたらしいんですよね。それも黙ってたみたいなんだけど。

とりあえずお葬式があるからって仕事終わりにそのまま電車乗って実家に帰って、泣いてる母を慰めながら姉妹で一緒に「行きたくないなー」なんて言いながら翌日お葬式に行って。やっと遺体と対面したらボロボロ泣いてしまって。

叔父さんではあるんですけど、○○(叔父の名前)兄ちゃんって呼んで昔から慕ってたし叔父の結婚式も行ったし叔父さんに子どもができた時はよく一緒に遊びにいったり、そういうこといろいろ思い出してボロボロ泣いてしまった。

叔父さんの家族とか息子に先に死なれた喪主のお父さんとか身内の母とか私なんかより悲しい人はたくさんいるのにあまり関わりが深くない私がこんな泣いてしまっていいんだろうかとかグダグダ考えてだいぶ気分が沈みましたね!
あと思うんですけど告別式の故人の紹介?みたいなあれいります??いらなくないですか??
「故○○さんは子煩悩で休日はよく遊びに~~」とか「人生まだまだこれからやりたいこともあったでしょう」とかマジでああいうのいります!?一切聞きたくないんですけどとにかく早く終われと思いながら聞いてたな……。

で、ですよ。
気分が沈んでる時にですよ、上司から連絡が入ってたんですよ。いや、移動時間にうっかり見ちゃった私も悪いなーとは思うんだけど仕事休んだ日に上司から連絡がきたら何か緊急の用だと思うじゃん?仕方ないじゃん?で、みたら

「急な休みは周りに迷惑がかかります。もっと社会人としての自覚を持ってください」

みたいなことが書いてたんですよ。
は、はああああああ!!??はあああああああ!?
なに言ってんのバッカじゃねーーの!!??

って今なら「バーカ!!」って素直に思えるんだけどその時はなんか素直に落ち込んじゃって……
「私がここに来たのは間違いだったんか?仕事に行った方がよかったんか?」とか思うし叔父の死を純粋に悼みたいのにこんな感情で火葬場に立ってる自分が嫌だしで、もう…………上司嫌い……。

それまで仕事できなくて迷惑かけるし申し訳ないなあって思ってた罪悪感とか全部ふっとんだ。嫌い上司。
お葬式が終わったらその足で気持ちが沈んだまま帰ってきて次の日普通に仕事行っただけめちゃくちゃ偉いと思うのでもっと褒めてほしいんですけど。

はい!暗い話ここで終わり!




そんな感じで働いてて年が明けたら短時間勤務に切り替えまして、働く時間が減った分ある程度暇な時間ができたんですよね。

そんな時に急に思ったんですよ、
「久しぶりにべるぜバブ読みたいなあ」って。


いや、なんで???????
本当になんで??????????

元々べるぜバブはちゃんと読んでたんですよ。銀魂が終わるまでジャンプはずっと読んでたのでべるぜは1話からがっつり読んでて、読んでた当時は正直全然刺さらなかったんですよね。
ジャンプに載ってるから読むぐらいのクソライト勢だったんだけど、ただ当時でも刺さりまくった話が一つだけあって。まあそれが175話なんですけど……へへ……よろしくお願いします……。

マジでそう思った理由は全く分からないんですけど1月上旬頃に急にその話が読みたいなあって思ったんですよ。
古いジャンプは大抵捨てたんですけど比較的新しいのはまだ家に置いてあったのであるかなあと思って探したらあって、読んじゃって、ね……。

その時は「やっぱりこの話好きだなあ」って思うだけで終わったんだよ!!
それが気がついたらブックオフで19・20巻を買っていた。なんで?????

違うんですよ……………べるぜバブをリアルタイムで読んでた時はまだ中学生とか高校生だったんですよ………………当時はこんな感情持たなかったんですよ。
いま読み返してみたら「なんでこれが刺さらなかったの?」って思うぐらいにいちいち刺さりまくって困った。歳を取った、本当に。


いや~~~~最初は中古で買ってたんですけど気がついたらアニメイトで全巻をポチってましたね……………なぜ…………。
そっからの勢いがすごい。未だかつてこんなことがあっただろうかというように毎日のように絵をかいている。すごい。


本当はこの令和2年にいきなりべるぜバブにはまりたくないんですよ!!こっからメディア展開あります!?いやあるかもしれないけどさぁあったら嬉しいけどさぁ!!旬ジャンルにはまりてぇ~~!!


本当になんで??なんでこんなことになってんの??今は本を出したいなあと思っています。マジでこの勢いなに??



弱ってる時に何かにはまると勢いがすごいなあと思いました。ほんと何でいきなり読んだんだろう。

私はアニメダンガンロンパ3に怒る権利がある

タイトル通り。楽しい内容ではないので注意してください。
アニメ放送が終了して2年も過ぎ、大分自分の気持ちも落ち着いてきたので放送当時からずっとあったこのモヤモヤとした感情を整理してみようと思い書きました。
ずっと怒ってるだけのただの愚痴です。マジでただの愚痴なので閲覧は自己責任でよろしくお願いします!!












結局のところ、私がダンガンロンパ3に対してこんなにも怒った理由を突き詰めて言えば「見たかったものではなかった」になってしまうんですよね。今まで自分が一番嫌ってきた怒り方だしアニメ3を楽しんだ人がいるのも知っているので素直に受け入れられない自分に落ち込んだりもしたんですけど、あれから約3年経ちいろいろと考え直した上で、やはり自分にはアニメ3に対して怒っていい権利があると考えたので怒る。怒るぞ。

私が怒っているのは主に絶望編、最終的には希望編なんですけどそもそも始まりから不安はあった。
ゲーム本編内でNPCとされていた七海ちゃんが人間として存在していたり詐欺師の性格がなぜか十神白夜のように描写されていたり。(まあここらへんは解釈違いって言葉で片付けられるんですけど…)
話数が進むにつれゲーム本編の発言との矛盾がどんどん出てきてその時点で大分不信感は強かった。本当に大丈夫なのかこれ?ゲームの設定ちゃんと見直したか?

でも最後まで見ちゃった。見ちゃったんですよ。嫌な予感がした時点でやめておけばよかった。
ダンガンロンパという作品の性質上、わりと製作陣はラストのどんでん返しを好む傾向にあるなと思ってたので最後まで見なきゃ分からないなと思っちゃったんですよね。もしかしたら最後の最後で今までの矛盾点を一気に回収するような展開があるかもしれないと期待しちゃったんですよ。なのに最後の最後ラスト1話であそこまで絶望的展開を持ってくるとは思わなかったよね。そんなことってあるかよ。


言わずもがなラストのみんなの復活、ぶさけんなという感情しか沸かなかった。
ラストの1話、あの描写によって私は私のゲーム体験を壊されたと思っている。だからこんなにも怒っている。

そう!!スーパーダンガンロンパ2のラスト!!
日向くんたちはゲーム内で自分を消すという選択をしたんだよ!!その選択をするまでに6章裁判で日向くんたちのどんな葛藤があったか、お前ら見てないのか!?
自分という存在が完全に無くなるかもしれない、そんな恐怖を抱えながらなお未来を創るという選択をした彼らのあの決断はなんだったんだ!?ああ!?完全に茶番じゃねえかふざけんなよ!!!!

なんであっさり全員が全員復活してんだ?都合よく奇跡があっさり起きたのか?都合よすぎじゃねえか?ほとんどゼロに近い、けれど決してゼロではない奇跡を信じ続けるんじゃなかったのか?で、6章裁判があれだけ長引いた原因でもある自分が消えるという話はどうなったんだ?嘘か?嘘なのか?これからはスーパーダンガンロンパ2をプレイしてる時「まあこいつら全員目覚めるし大した障害もなく絶望を克服できるしな」とか思いながら学級裁判しなきゃいけないのか?あの時の生き残り組の苦しいまでの葛藤もただの茶番にしか映らなくなるけどいいのか?何のために死んで何のために殺したんだ?

私のゲーム体験を返せ。初めてスーパーダンガンロンパ2をプレイし終わった時のあの感情を返せ。
とても好きなのに、二度とあの時のような気持ちではプレイできなくなる。どうせ生き返るしって思いがずっと頭にちらつく。

正直希望編でかきたいことは分かる、分かるんだよ。希望を持って前に進み続ける苗木たち78期生と絶望を背負いながらも新しい未来を模索する77期生たちの対比をかきたかったんだろうなとは思う。でも、どうしても何でこんな展開にしちゃったの?としか思えない。本当に何で?
何でキャラクターのことを愛してやらないんだ。


好きなところもね……あるんですよ……。
九頭龍の妹と日向が実は関わりがあったとか狛枝と江ノ島の対立とかそこらへんの描写は好きなんですよ。あとOP がめっちゃいい。
だけどあのラストがあるせいでアニメ自体を受け入れられない。悲しい。

みんなが絶望に堕ちた経緯も……時間が足りなかったのかな、うん……。そりゃあんだけの人数一人一人丁寧に描写するのは無理だよでもお前らがかくって言ったんだろうが責任持てよ何が最高のファンアイテムだ。
ゲーム本編の通信簿でしっかり一人一人の過去を匂わす描写がされているだけにアニメの適当さに腹が立つ。かけないのなら最初からかくなんて言わないでくれ。キャラクターを大事にしてくれ。

スーパーダンガンロンパ2はこれからもずっと大好きだと言えるけれど、アニメ3に対する怒りも消えることがないんだろうなと思う。

悲しい。

映画夏目友人帳 感想

『劇場版夏目友人帳 うつせみに結ぶ』を観てきました。

 

観終わった後のあの「満たされた」という感覚がとても心地よくて、久しぶりの感覚でした。映画が終わった後しばらく席を立てないような、明るくなった瞬間ほうと思わず息をついてしまうようなあの感覚。

スクリーンでも変わらずいつもの夏目友人帳だったんですが、大画面でじっくりと観る夏目は胸に染み入る心地よさがより一層気持ちよかったです。感想を一言で表すのなら「いいものを観させていただいた」ですね。

こうして1期の頃から変わらない夏目友人帳の世界を映画館で観れているという事実に感無量です、本当にありがとうございます映画館通いつめます……。

 

以下、感想。

 時系列バラバラでポロポロと書いていきます。

 

・まず出だしから背景がとてつもなく綺麗。音楽も綺麗。どこだったか忘れたけど夏目くんが走っている時の音楽があまりに綺麗すぎました。さらに言葉も綺麗。最後の「ヨリエさんの悲しみは、柔らかに着地したかのように見えた」という言葉が綺麗すぎて優しくて泣きそうになりました……。

夏目友人帳に対する感情が強すぎてわりと冒頭の夏目くんがヨリエさんの果物を拾って手渡しする場面でボロボロ泣きました。

ニャンコ先生の可愛さ異常じゃなかったですか???

公開前から可愛いな~とは思ってたんですけどあまりにあざとすぎるだろうって思ってたもので……。なんか目にハイライト入ってるし、3匹いるし小さいし、可愛いけどあざとさに振りきりすぎでは?とか思っていたのに実際に劇場で見たら可愛すぎてそんなこと思ってたの全部飛んでいきましたね。

ニャンコ先生が分裂した瞬間、劇場内が少しざわってなったの感じましたからね。ボソッて「可愛い……」って声が聞こえましたからね。私ももう少しで声に出して言うところだった、危なかった。DVDが出たら思う存分家で可愛いって言おうと思います。

トリプルニャンコ先生は本当にとてつもなく可愛かったんですけど先生役立たなさすぎじゃない??なんかずっと食べてなかった??まさか先生の食い意地のせいであんな大変なことになるとは思わんでしょ……先生……。

あと先生が復活した時、なんて言ってるのか何回聞いても聞き取れないんですけどあそこなんて言ってるんですかね??「にゃんぱらりー!」って聞こえたのは私の気のせいなのかどうか気になります。

・田沼くんのポン太呼びめちゃくちゃ好きなんですけど、最近あまり呼んでくれなくて寂しかったので映画でポン太って呼んでたのとても嬉しかったです。ポン太と呼べば出てくると思ったのだろうか。

・改めて藤原家三人がニャンコ先生に対する呼び方バラバラなの面白いなと思いました。なぜ誰も合わせようとしないのか。

・犬の会めちゃくちゃ大好きなので出番が多くて嬉しかったです!中級可愛いよ~!中級と田沼くんは接触ないはずなのにニャンコ先生を探している田沼くんが来た瞬間、安心する中級たちとても好きです。

・「田沼に話せてよかった」「明日、もう一度田沼と探しに行こう」って夏目くんがごく普通に田沼くんを頼りにしているのが見ていて何か嬉しかったです……今までずっとお互いどこまで踏みこんでいいのか悩んでいたのに、自然に相談しているの見ると今までの積み重ねを思ってしみじみとよかったねぇみたいな気持ちになる。

・多軌ちゃんめちゃくちゃ可愛かった。最後ニャンコ先生~!!ってぴょんぴょんって飛び跳ねる多軌ちゃんめちゃくちゃ可愛い。あと白ワンピース姿珍しくてすっごく可愛かったんですけどほんの少し怖くもあるなって……。田沼くんが言っていた「知っているはずなのに、実在感がない」という感覚をイメージさせるような。

・もう少しで言葉にできそうでやはりうまく言葉にできないんですが、委員長が弁論大会で言っていた言葉がすべてなんだろうなあって思います。

「形あるものはいつかは壊れ、記憶さえも徐々に薄れていずれ無くなってしまうかもしれない。けれどこの出来事によって私は人の優しさを知り、人との関わり方を変えるようになった。その変化はさざなみとなって私を形作る。それが世界の仕組みなのだと気づいた」

大分うろ覚えなんですけどこの委員長の台詞を丁寧に丁寧に表す映画だったなあと思います。

どんなに悲しい記憶も大切な思い出も、時間が経てば徐々に薄れていってしまう。思い出の場所がなくなっても、記憶が薄れていっても、その出来事が今の自分を形成する。記憶の喪失がイコール体験そのものを失うわけではない。ヨリエさんがムクオさん、ホノカゲと過ごした8年間は決してなくしたわけではない。確かにホノカゲは彼女から悲しむ時間を奪ってしまったけれど、悲しみを柔らかに受け入れた今の彼女を作ったのはその共に過ごした8年である。彼女はこれからもこの悲しみを抱えて生きていく……。

あまりに優しすぎて泣けてしまう。

 

3回目にして初めて気づいたんですけど、最後に枯れ木が急に成長したのはおそらくニャンコ先生の台詞、「妖力に触れて成長する妖の木もあると聞く。私の妖力に触れて成長したか」から考えるとホノカゲの力に触れたからなんですよね……?

だとすると、ホノカゲが去ってみんなの記憶から消えた後も、ホノカゲが残したものがあの場所に残ることになるんですよね……。

ホノカゲは「僕がいる間だけ世界がまるごと変わってしまう」と言っていたけど、ホノカゲが去った後もこの木だけは元の世界には帰らなかった。彼が8年間確かにここにいたという証拠になっている。

これからもヨリエさんはあの祠に通うはずで、そこで嬉しかったことや悲しかったことをいろいろ報告するはずで、そしてその場所にホノカゲが残したあの木があるという事実……。「なかったことにはならない」ということをあの木が象徴しているようでEDとても泣きそうでした。なんて優しいんだ。

 

滝のシーン、音楽と妖の台詞とが相まってどこか恐ろしくとても好きなんですけど、恐らくあそこの台詞もこの映画の根幹を表す部分ですよね。

「人の流れとはちょっとしたことで変わってしまうはかないもの」

レイコさんはゴチョウ町にほんのわずかしかいなかったけど、レイコさんのことを覚えている妖も人もいる。そしてレイコさんと出会った妖の一人であるもんもん坊が、序盤で夏目くんのことを助けてくれるんですよね。

「さざなみとなって流れを変える」、そのさざなみの端にレイコさんもいたんですよね……。連綿と繋がって今に至る、その流れがあまりに綺麗すぎる。

 

変わらず優しい物語で、最高でした。

うまく言葉にできないのがもどかしい。

 

何回も観たいんですけど、何回も繰り返し見るのはなんだか勿体ないような気がして、この数回で得られた感情だけをずっと大事にしたいような、そんな気持ちです。

 

映画館でこんな優しい物語を観せてくれてありがとう……。

劇場版夏目友人帳第二弾しません?

 

 

初サンレス感想

やばいと噂のUSJサンジの海賊レストランに初めて行ってきたのでレポという名の感想を書きました。

 

いやぁ、すごかった。

本当に、本当にすごかった。

 

もうすでに大分記憶がないので覚えている範囲で書きます。

 

まず全くサンレスの勝手を知らなかったので、あれなんですよ。キャストさんが絡みにくるっていうのは知ってたんですけど、店内を練り歩きながら適当にお客さんのところに絡みに来るのかなって思ってたんですよ。

 

全席にサンジくんが必ず来るんですね?????

 

聞いてない。全然聞いてない。

「サンジシェフが料理を仕上げに今からみなさんの元に参りまーす!!」

え??????なんて??????来るの??????

サンジくんがこの席にも来るの??????え??????

とか疑問符でいっぱいになっている間に、サンジくんが、来ている。えっ。

なんか真っ直ぐに目を見て何かを言っていた気がするんですけど……まさか直接サンジくんが席に来てくれるとは思わなくて、動揺して顔を伏せてしまいまともに顔が見れなかった……とてもお目目が美しかった……

料理がとってもおいしかったんですけどいちいち随所にハートモチーフをこしらえてるのがさ~~~!!!!サンジシェフさぁ~~~!!!!

デザートなんかお皿までハートだったからね!!!!やめて恥ずかしい!!!!好き!!!!

つい昨日のことなんですけどいろいろ衝撃が強すぎてももうすでにあんまり記憶がないんですよね。「すごかった」という感情だけが残り記憶が消えている。ごはんが美味しかった。

 

あと最後にみんながハイタッチしてくれたんですけどルフィがレストラン内を駆けまわりながらいえーぃ!って元気よく、サンジくんは優しくハイタッチしてくれて、ゾロがグーだったのがとても最高でした……ちびっことゾロがグーでコツンしているところを目撃してしまいとてもときめきました……。

 

さらにさらに知らなかったんですけど、記念撮影が????あるんですね????

聞いてない。マジで聞いていない。

サンジくんと一緒に写真を撮るの????マジで????って全然落ち着かないまま順番が回ってきて撮影ブースへと通される。待っているサンジくんたち。

あの、友人と二人で行ったんですよね。二人ね。撮影ブースはサンジくんが座っている長椅子の両隣が一人分ずつ空いているんですね。ね。

 

バッ!!!!!!と両手を広げて!!!!!!!サンジくんが!!!!!足をばたつかせながら!!!!私たちが来るのを待ち構えていたんだよ!!!!!

この時点でもう大分緊張で吐きそうでした。

 

そして恐る恐る腰を下ろした私たちの肩に回される手。え?????サンジくんに肩を抱かれている??????え????

記念撮影の掛け声が「スリー、ツー、ワンピース!」で「あ、いつものやつだ!本家だ!(?)」って謎の感動を覚えたりもしたんですけど本当に緊張しすぎてめちゃくちゃ固まってました。緊張のあまりどうポーズをとっていいか分からず引きつった笑みでダブルピースとかいうわけの分からないことをしてしまった。

撮影が終わって席を立つ前、最後の最後に何かを囁かれた気がすんですけどそれが言葉として認識できなくて何を言っていたのか全く覚えていないんですよね……。すごかった。

来年も行きたいと思ってしまう、すごい。行きたい。

そこからしばらく脱力してしまって動けなかったんですけどなんとかプレミアムショーを観る頃には回復してました。今さらになってその反動がきてるけど。本当にすごかった。

 

サンレス後に観たプレショもすっごく楽しかったんですが記憶がすでに朧気です!!また思い出しつつ感想を書いていきたい。

 

いやぁ、すごかった。

また行きたいです。

 

重大発表に関するあれこれ雑感(ネタバレ)

8/20 発売ジャンプのネタバレを含みます↓↓↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

銀魂が終わる。


早バレを踏んで金曜あたりから知ってたんですけど。実写の感想を漁って銀魂という単語を検索してしまった私も悪いけどやっぱり早バレを流す奴らの方が圧倒的に悪いので悪いです。図らずも早バレを目にしてしまった瞬間私のソウルジェムは真っ黒に濁り早バレを呟く奴らを片っ端から無心でブロックしていた。だめだ、こいつらは今後もまた悪意なく早バレを流す可能性がある危ない何が「え、銀魂ってあと5回で終わるん(´;ω;`)」だよジャンプの発売日も知らないぐらいジャンプに興味がないくせに呟いてんじゃないよ  おっと口が滑った。


とにもかくも銀魂が終わる。
とうとうこの時がきてしまったかという感じが強い。
いや終わるんだよ。2016年からすでに最終章と銘打っていたしなんなら2014年の頃からそんな覚悟は薄々できていたしでもなんやかんや2018年まできてしまって「いやまだ終わらないのかよ最終章長すぎない」ってところまできていたんだけど、いよいよ終わる。平成最後の年に一番好きな漫画が終わりを迎える。


とっくに覚悟はできてたはずなんですけどいざ「あと5回!」と目の前に突きつけられると身動きができなくなる。へえ、そっか、あと5回ね、ふーん。今週を除くとあと4回?え?今週あんなにウホウホ言ってたのに?
はーーーーーーーー……………へーーーーーーーーーー…………

 


以下どうでもいい自分語りなので読み飛ばしていいです。


銀魂を初めてジャンプで読んだのはかぶと狩りの話だった。BLEACHの続きが読みたかったから買った初めてのジャンプでたまたま読んだのが最初で、変な漫画だなと思った記憶がある。で、後日本屋に行ったときに積み上げられているのをみて、思わず買ってしまったのが始まりだったはず。あの時は神楽ちゃんよりも小さかった。
それからTVアニメ化して、「銀さんの声合ってねー!」とか言いつつ火曜い~ジャンを毎週楽しみに見ていたら半年で木曜18時に以降して、アニメ2年目を迎える頃には中学生になって、毎週木曜日だけは部活を早く切り上げて帰ってきたりして。高校生になる頃には映画化もして、ジャンプの「映画化決定記念!11月は銀魂月間」とかさらりと書かれた「映画化」の文字に「は???」ってなったり、実際に映画館に行って「劇場版銀魂」の文字を見て「本当に映画やってる……」って変な感動を覚えたり、新訳紅桜篇公開時は本誌では四天王篇をやっててあまりに熱い展開にワクワクしつつすごいオールキャラぶりにもしかして銀魂終わるんじゃないだろうかと心配になったり。大学生の夏には完結篇が公開され始発の電車に乗って初回を観に行き、あまりの衝撃に続けて2回目もみっちゃったり。そして2014年、10周年を迎えて急展開に突入した銀魂に毎回ハラハラしたり、というか未だにちゃんと向き合えてなかったり。


小中高大と一緒に青春時代を過ごしてきた、そして社会人になったいまでもずっと大好きな漫画が終わってしまう。
銀魂に出会って13年、銀魂に関する思い出がありすぎる。
銀魂という作品以上に好きになって、特別になる作品はこれから先現れないだろうなと思う。
それぐらい私にとっては特別な作品で、文字通り人生が変わった作品である。この13年何度も何度も銀魂に助けられてきた。
そんな作品が終わる、あと5回で。
実感がまるでない。


何が悔しいって空知先生って元々漫画家を目指したきっかけを「最後ラピュタが去っていくとき待ってくれ!俺を置いていかないでくれ!みたいな気持ちになって寂しくてしゃあないからどうせなら置いてく側に回りたい」とか言う人じゃないですか。
それがいま!!!!!どうしようもないほどに達成されようとしてるじゃないですか空知先生の目論見大成功じゃないですか!!!!!だってめちゃくちゃ寂しいもんまだ実感がまるでないのにすごく寂しいもん!!!!!万事屋に置いていかれる!!!?13年見続けてきた銀魂に置いていかれる!!!!?やだ寂しいやだ


なんせ小学生の頃からずっと好きなもんで銀魂がある生活が当たり前になってるからそれが終わってしまうってのがどういうことなのか全然想像できないんですよね。愛が重いオタクですまない。
最終回まであと5回って言われても本誌はウホウホ言ってるし定春のこととかたまさんどうなるのとかわからないことはいっぱいだしまだ「終わる」という実感がないので、実際に一ヶ月最終回を迎えた自分がどんな感情になっているのか全然分からないです。
この一ヶ月どうしようね。

今はこんな文章にもなってない諸々を吐き出すことしかできないけど一か月後はもう少しちゃんとした文章を書けるようになっているといいな。

空知先生にファンレターを書こう。